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最終週
最後の週も半ばになりました。

引っ越し準備があるので早めに帰宅したかったのですが、昨日も今日も2例ずつ。
(火曜日:OPCAB x 2 with BIMAs, CABG x 4 with BIMAs)
(水曜日:Valve sparing aortic root replacement, MVR)
今日は今までなかなか回ってこなかったDavid手術。最後に気を利かせて僕に回してくれました。これでもうやり残したものは無いという気がします。

いろんな所で皆から"I will miss you"とか言われ、その度に少し寂しい気持ちになります。
ここで手術することも無いのかと思うと手術中も少し感傷的になってしまうのでですが、これからはここで学んだ事をいかに日本で生かして行くかを考えて行きたいと思います。
特にアメリカの優れた研修システムの一部でも何とか取り入れて、日本の旧態依然としたシステムを少しでも変えて行けたらと思うのですが、どうなるでしょうか。

もともと留学生活を日記風に残そうとして始めたブログなので、帰国後の更新はないかもしれません。日本での現実に失望して「心臓外科医のぼやき」になってしまうかもしれないし。。
話題が提供できそうなら、細々と続けるかもしれません。

ご存知の方も多いかと思いますが、7月から正規のアメリカ胸部外科認定フェローとしてT先生がうちの施設で晴れてデビューされました。開始早々皆の期待の星です。アメリカでの研修の模様は彼のブログをチェックしてください。
外科医の創り方
# by ctsurgeon | 2007-07-12 12:15
帰国1週間前
随分投稿が途絶えてしまいました。

先週から病院にも新しい人たちが来て、彼らへの引き継ぎや引っ越しの準備や飲み会やらでバタバタしていました。7月はゆっくりと最後のNYの夏を楽しんで、それから1週間くらい休暇をとって、、などと皮算用していたのですが、実際のところとてもそんな余裕はありません。

幸い帰国後のマンションはインターネットで見つける事ができました。もともと知っている街で、Google Mapの航空写真を使えばマンション周囲の様子も手に取るようにわかるので、現物を見なくても安心して決めれます。
ついでに帰国後の車もヤフーオークションで買ってしまいました。新車で買って溺愛していたものの9ヶ月後の渡米時に泣く泣く手放したアルファロメオを8年ぶりに中古で乗る事にしました。とりあえずはそれだけが帰国後の楽しみです。

今日は息子が通っているスケート教室で安藤美姫のスケートショーがあったので、引っ越し準備の合間をぬって行ってきました。荒川静香や安藤美姫の振り付けを担当しているモロゾフコーチの家が近くにあり、彼ら超一流選手も同じスケート場でトレーニングしています。彼らの練習とアイスショーを毎年格安で地元の人に公開しているようです。リンク内でかぶりつきで見るのはテレビで見るのとまた迫力が全然ちがいます。


帰国1週間前_e0088460_1238899.jpg独立記念日。この日は巨大な国旗がジョージワシントン橋にかかります。
帰国1週間前_e0088460_12383767.jpgMACY'Sの花火も良いですが、我が家からは地元の街の花火が楽しめました。
帰国1週間前_e0088460_1351236.jpg安藤美姫。
帰国1週間前_e0088460_12392795.jpgジャンプはさすがです。
# by ctsurgeon | 2007-07-08 12:51
Jewels
PAの女の子が突然用事で行けなくなったからという事で、餞別の意味も込めてNew York City Balletのチケットをくれました。

New YorkにはAmerican Ballet TheatreとNew York City Balletという2つの大きなバレエ団があり、いずれもリンカーンセンターを本拠地にしています。
「ジゼル」や「白鳥の湖」などのクラッシク・バレエをAmerican Ballet Theatreで観た事はあったのですが、主にモダン・バレエを扱うCity balletは行く機会があまりありませんでした。

今回は「Jewels」。
エメラルド(フォーレ)、ルビー(ストラビンスキー)、ダイヤモンド(チャイコフスキー)という趣向を変えた3部作で、クラシックとモダンを取り混ぜた内容となっており、素人の僕でも楽しめました。

それにしても美しく鍛え上げられた男女の踊りを観ていると、純粋に惚れ惚れします。男性が筋骨隆々なのは言わずもがなですが、女性も細くて筋が浮き出てそうなのに大腿四頭筋だけは隆々としています。
ああいう美しい人たちを目の当たりにすると日頃の不摂生を直さなあかんなと思いながらも、ビールとワインを飲みながらブログ更新中です。

来週末は最後にAmerican Ballet Theatreの「白鳥の湖」を観に行く予定です。
そろそろ帰国が間近になってきました。


Jewels_e0088460_12541791.jpg
Jewels_e0088460_135535.jpgJewels_e0088460_12531145.jpg

Jewels_e0088460_13175025.jpgNew York State Theaterの内部

Jewels_e0088460_13181258.jpg同じリンカーンセンター内にあるメトロポリタンオペラハウス。American Ballet Theatreはここを本拠地にしています。外では丁度野外サルサダンス大会が催されていて、皆踊り狂っていました。また同じ敷地内隣にNew York Philの本拠地エブリフィッシャーホールがあります。
# by ctsurgeon | 2007-06-25 13:14
リカバリーショット
78歳男性。
僧帽弁置換術(機械弁)術後の人工弁感染で、再僧帽弁置換術。
僧帽弁置換術の前に僧帽弁形成術もしているので、3度目の開胸、しかも低心機能(EF 25%)のハイリスク症例です。

弁輪部感染膿瘍が特に左上(大動脈弁近傍)のあたりで激しく、掻爬した後あまり良い組織が残りませんでした。前立ちをしていた教授がその部分(Left Trigone area)に3針だけ自分で糸を掛けました。もっと十分深く針を入れないと、組織が避けてそこからLeakするのでは、と少し心配だったのですが、大動脈弁との距離があまりないので、それ以上深く針を入れることが出来ないのだろうと思いました。

通常どおり僧帽弁置換術(生体弁)を終了して、心拍再開。エコーを見て「あー。やっぱり。。」
案の定新しく入れた僧帽弁の脇から血液が漏れています。まさに心配していた場所。さらに悪い事に強度の大動脈弁逆流が。。人工弁を縫い付けた糸がやはり大動脈弁に近すぎて大動脈弁輪が引き攣れて逆流が起こっているようです。

結局心臓を再度止め僧帽弁のLeakの閉鎖と大動脈弁置換術をするはめになりました。もともとハイリスク症例に対する再再手術の上に、さらに合併症に対する手術で手術侵襲は2倍以上になります。人工心肺時間が4時間を超えどうなるか一瞬不安になりましたが、出血を止めるのにかなり苦労した以外術後経過は順調です。

どうしたらこの事態を避けられたか。。
人工弁をしっかり固定しようとして糸を深くかけると大動脈弁が引き攣れて逆流を起こすし、それを恐れて浅く掛けると人工弁の固定が甘くなり、そこから漏れがでるし。。結局両方起こってしまったので、このケースではもっとアグレッシブに心膜パッチなどで弁輪を再建するしか方法がなかったのかもしれません。彼もそこがミスジャッジだったと言っていました。でも高齢低心機能のハイリスク症例では、なるべく短時間に手術を終わらせることも大切だし。。その辺の判断が難しいところです。

手術の結果だけ見て「ああすれば良かった」とは何とでも言えるのですが、実際の現場では教科書レベルをはるかに超えた外科医個人の経験と知識でその場の判断をしていくしかありません。どんな名人でも手術は毎回小さなTrial and Errorの繰り返しで、Errorに対してどれだけ上手なリカバリーショットを打てるのかというのが、外科医の大切な技量だと思います。だから結果がOKでも60点の手術もあれば80点の手術もあります(永遠に100点には届かないと思いますが)。しかし患者さんから見たら手術は「成功 =100点」と「失敗 =0点」の2つしかないわけで、その意識の差が患者さんと医師との間におこる誤解のもとになっている気がします。

患者さんに取っては結果が全てなのだから、悪い結果が出た時に医療従事者を不審に思うのは当然だとは思うのですが、結果だけを見て「医療ミス(医療事故ではない)」とマスコミが囃し立てる近年の日本の状況を見ていると、日本の医療はいったいどこに行ってしまうのかと少し心配になります。

この症例は幸いリカバリーショットが上手く行って結果オーライでしたが、日本の場合これで結果が悪ければ「ハサミで胎盤を剥離した事は教科書には駄目と書いてあるからけしからん」といった素人見解でいきなり逮捕されてしまった産婦人科の先生みたいになってしまうのでしょうか。。

でも、エコーを見て「あちゃー」と思った直後に頭に浮かんだのは、「あの場所の糸自分で掛けなくて良かった。。。」という事でした。自分で掛けた糸だったら今でもへこんでいると思います。案の定教授にも見抜かれてました。
それにしても数ミリの違いで、、やはり恐ろしいことしてるんだなと思いました。
# by ctsurgeon | 2007-06-17 06:35
Farewell Party
今日はタレントドクターOの自宅で医局のお別れパーティーでした。
もともとチーフフェローを終了したM君の卒業パーティーなのですが、イラク派遣のスケジュールが急に変更になって彼が参加できないことに。いきなり主賓がいなくなって、しかたなくこの夏に去るシニアフェローのA君と僕が主賓に祭り上げられてしまいました。

何かしゃべれと言われて非常に憂鬱だったんですが、せっかくだから一発かましてやろうと当日の朝からスピーチの準備。本番は程よく酔っぱらってテンション上げてからのスピーチ。概ね反応は良好で、’I was almost crying!”とまで言ってくれた人もいました。

スピーチの草稿です。適当に書いたので文法はいい加減ですが、言いたい事は伝わったような気がします。

Thank you everybody for coming tonight for us.
And thank you XXX and XXX for hosting this party.

It was almost 8 years ago.
I was a research fellow at XXX after finishing 5 years general surgery / CT surgery training, doing animal experiments everyday, such as mouse heart transplantation, dreaming some day I would be able to perform human heart transplantation.
But I felt frustrated with my situation and even my future.

During my residency in Japan, what I was doing was, watching operations as the 2nd assistant, staying at ICU for post-op management.
No chance to do the case as a surgeon, even as the first assistant because too many senior surgeons were still struggling to get the chance to operate.
There is no organized training system for young surgeons.
I wanted to become a good cardiac surgeon to help patients, but I started to doubt it would be possible.
It appeared what I could do was just waiting and waiting until I become old enough (usually too old) to get the chance.

One day, I was watching a CABG at the hospital, where I was moonlighting.
The surgeon just returned from Australia after finishing 4 years CT surgery training.
His operation was completely different from ones which I had seen.
I was shocked and strongly felt that I had to leave Japan if I want to become a good cardiac surgeon.

But I had no idea how to get the chance.
A couple months later, my boss told me that XXX was looking for a research fellow here at XXXX.
That position was a research fellow, same thing what I was doing in Japan, operating mice everyday.
There was no guarantee for clinical training position, but I thought this might be a big chance.
Go to America, You may get something.
So, I came to NY.

Since then, I have been very lucky, helped by a lot of people.
When I started clinical fellowship here, I could not do anything by myself.
I could not even understand what they were talking during the ICU morning round.
Sometimes, I went to ICU after round and tried to read charts to know what they were discussing in the morning, but in vain.
Their handwritings were also too hard to read.
I was hopeless....

I was afraid to pick a phone call because of language problem, whenever I got a phone call from ICU or floor, I went to see the patients because I was not comfortable to order by phone.

But everybody was very kind and helpful.
Everybody was fair and treated a foreign resident who speaks strange English equally.
Actually, I could not understand why they treated me like that but I realized later.
This is why America is still No1 in the world and lots of people are coming to this country to fulfill their dreams.

I want to thank everybody. I will not mention each person because there are too many.
But I want to thank especially XXX.
He opened the door for me and has supported me since I came here.
I would not be able to become a cardiac surgeon without him.

And I want to thank to my wife XXX.
When we left Japan, I promised her we would return to Japan after 3 years. But I lied. Almost 8 years have passed.
She has had hard time to get adjusted here but she did not give up and raised our son XXXX. He was only 10 months old when he came here and now is 8 years old.

I am returning to Japan.
I have enjoyed working with you and I will miss you very much but it is time to go.
Now, I want to bring what I have learned at XXX back to Japan and share it with young surgeons in my country.
This is one of the ways I can express my thank to you people at XXX.

Thank you.



Farewell Party_e0088460_11404391.jpgDr. Oの豪邸。マンハッタンを見渡せる丘の上にあります。地下にはバスケットコートやプレイルームも。部屋がいくつあるか数えら切れないほどです。

Farewell Party_e0088460_11405833.jpgテラスからのマンハッタンの景色。

Farewell Party_e0088460_11411679.jpgスピーチの様子。Dr.Oからの誕生日プレゼントのスーツを着ていきました。
# by ctsurgeon | 2007-06-11 12:00