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クリスマスの当直後、少し体調を崩してしまいましたが、ようやく復活しました。
2人の移植患者さんの経過は順調です。 今日は珍しく自分の手術がないので、勝手に重役出勤です。 当直なので、ぶらぶらしながら時間つぶしてます。 暇なので、これまでのことを振り返ってみる事にしました。 アメリカに来たのは7年前になります。 日本で大学院生として研究をしていた時に、NYでの研究留学の話がありました。 その頃の自分は心臓外科研修中の中堅とはいえ心臓手術執刀経験はほとんど皆無で、同世代の仲間よりも遅れをとっていると感じていたので、早く臨床の現場に戻って手術のトレーニングを積みたいという焦りがありました。 留学とはいえ、臨床から離れてさらに2−3年研究生活を続けることは、正直大きな不安がありました。 留学を決めたきっかけの一つは、アルバイト先の病院でオーストラリア帰りの先生の冠動脈バイパス手術を見たことでした。 今まで見て来た手術と全く次元が違いました。いかに自分が井の中の蛙であったのかがわかりました。 「これは海外に行って修行せなあかん!」 とその時に強く思いました。 所属医局はそこそこの関連病院を持っていたので、下積みをしてうまく医局人事に乗れば徐々にポジションが上がっていって、そのうちどこかの部長にでもなって手術できるようになるだろうという気持ちもありましたが、そのような安全策で行ったら決してあのレベルには到達できないと思いました。 それに日本の現状では、大学院卒業後に市中病院に出張したとしても、3番手くらいで執刀する機会があまりないこともわかっていました。手術できるようになるまで、何年かかるかわかりません。 とにかくアメリカに行けば、チャンスはあるだろう。 しかしECFMG certificateもなく、向こうで臨床研修のポジションが約束されていたわけでもないので、渡米して3年のリサーチというのはある程度賭けのようなものでした。 「3年やって、むこうでチャンスがなければ心臓外科医あきらめよう」 と思っていました。 そういうリスクを背負っていたからこそ、渡米してから頑張れたのかもしれません。 研究室のボスに内緒でUSMLEの勉強をしたこと。(非常に厳しいボスで毎日の様に研究成果を監視されてました) 運良く臨床フェローのポジションを獲得したものの、最後のUSMLE step 3に落ちてしまい、茫然自失となったこと。 再度受けたstep 3の合格通知を一人で研究室の非常階段で開けて躍り上がって喜んだこと。(すでに臨床研修開始予定日を過ぎており、不合格なら採用取り消されるところでした) などが思い出されます。 ずいぶん遠回りしたような気もしますが、これまでの決断は間違ってなかったと、やっと最近思える様になりました。 最近はインターネットで情報がすぐ手に入るので、医局人事に頼ることなく、いきなり海外の施設にアプライして臨床研修している人も増えてきました。 少し前では臨床留学の情報は人づてに聞くしかなかったので、そのような人が周りにいなければ、どこか遠い話だったのですが、最近はこのようなブログや掲示板で情報を簡単に共有できるようになりました。 そういう人たちの間でネットワークも出来つつあります。 医局以外のそういう横のつながりは、これから重要になってくると思うし、大事にしていきたいと思っています。 ■
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by ctsurgeon
| 2006-12-29 08:03
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